占夢は特別な道具を必要としないので、巷間でも多く行われたと思うのですが、それで何か問題は生じなかったのでしょうか。

最後から2回目の講義で『詩経』を扱いましたが、仰るとおり、巷間では様々な俗信的方法で占夢が試みられていました。しかし、その大部分は個人や家、氏族に関する事柄であって、国や王権の存亡に関わる重大事ではなかったので、大きな問題は生じなかったと思われます。しかし逆に占夢官の方では、そうした巷間の方法と差別化を図るため、さまざまな工夫が必要だったものでしょう。卜官のなかでも占夢が、独立した官職としては比較的早くに衰えてしまうのも、やはり「特別な道具などを必要としなかった」からなのかも知れません。