史料19では、帝の下に神が位置していますが、この秩序は曖昧であるという理解でいいでしょうか。

日本古代のそれの源である中国の秩序では、帝は神よりポジションが上なのです。殷代の解説でも少し触れましたが、殷王朝の至上神は上帝で、その至尊さは人間の理解を超えており、一切のコミュニケーションを拒絶する存在でした。これが周王朝以降に「天帝」となってゆくわけですが、すなわち神々の頂点に君臨しその統括を行う者こそが「帝」なのです。祭政一致の殷王の系譜には「帝」が用いられていますが、現行の君主(すなわち生きているもの)が「王」と呼ばれていることを考えると、「帝」は諡号に付くものであり、祖神となった存在が初めて呼称を許されたのだと考えられます。それを秦始皇帝は生前から名乗るわけですから、大きな改革に違いなく、ある意味では現御神「天皇」の誕生と相似形の出来事といえるでしょう。