継体は「応神五世孫」というキャッチコピーのみで、大王の地位に就けたのだろうか。何か大きな権力基盤はなかったのですか?

継体天皇即位の背景には、息長氏という近江(滋賀県)の有力豪族が存在したと考えられています。息長真手王から敏達、舒明、中大兄に至るラインは息長系なので、蘇我氏を含む葛城氏系と大王の姻戚を競った勢力と考えられます。継体以前の動向は不明ですが、継体が「五世孫」と称した応神の母神功皇后は、「息長帯比売命」との和風諡号が付いているので、後世の改竄によるものかいなかは別として、応神系譜と密接な関わりを持つ氏族であったと考えられます。