私たちは占うときに数を数えるのに必死で、問いを念頭に置かずに占っていたのに、それでもどの問いに対しても合うような答えが出ていたので、やはり占いは信じ難いなと思いました。

いや、ぼくも頭から信じているわけではありませんからね。ただし、易の内的世界からいうと、筮竹を操って卦を出している間は、やはり無心である方がいいようです。自らの恣意を棄て、天・地・人と一体化することが求められるのですね。易は実践しているとそのこと自体に集中するので、やはり「無心」を生み出す装置としては優れているようです。