『詩経』において、男子が熊や羆に喩えられているのは、強い生き物というイメージがあるからでしょうか。 / 史料5の『詩経』をみて、中沢新一の『熊の王』を思い出しました。動物の王が、子として宿るという解釈はできますか?

熊はやはり、アジアにおける動物の王というイメージなのでしょうね。『周礼』の方相氏条をみると、辟邪の役割をなす方相氏は熊皮をかぶっており、これは動物の王の威力なのだろうと思われます(ただし、中原の文献からは、その後ほとんど熊の記述は見出せなくなります。中原地帯の開発や気候変化と関係があるのかも知れません)。『詩経』の時点ではあくまで象徴ですが、元来は精霊の世界からのトランス・ポジションが想定されていた可能性は否定できません。シャカも白象ですからね。