亀卜や骨卜は、現代の私たちの身近にあるような占いと同じ性格のものなのでしょうか。国事を占うため、特別に神聖なものという位置づけだったのでしょうか。 / 占いが王や国家よりも権威を持つことはあったのでしょうか。

占いとしての基本は変わらないのでしょうが、やはり国家的機関に所属する官僚たちが行っていた正式なもので、権威は非常に高いものでした。卜占専門の機関の存在は、それこそ殷王朝時代から確認でき、それは王の直属で、ときには王自身がひび割れの形を占断することもありました。周王朝以降も明確に卜占機関は存続してゆきますが、これを運営する卜官たちは歴史編纂官たる史官、祭祀執行官たる祝官と不可分で、かつては同一の存在であったことが明らかにされています。彼らの重要な職務のひとつには諫言があり、王への規範の提供が神話や歴史の存在意義でもあったわけで、その意味では一部に「君主よりも天に従っている」との意識が存在したことも確かです。しかし、あくまでそれも王朝・国家の存続を目的としてのことで、通常は僭越な立場に到ることはありませんでした。ただし『史記』によれば、前漢の頃には卜占の結果が政治的に悪用され、宮廷が大混乱になったこともあったようです。