『書紀』に漢籍からの引用が多くあることは分かったのですが、当時の人々にはそれが引用と分かったのでしょうか。

美文を援用して文章を作るのは当時の一般的作法ですから、『書紀』を論じたり講じたりする学者層、一定の文人官僚層には、ある程度引用もとが分かったと思われます。ま、当然個人差もあるでしょうが。なお、『書紀』は当時一般への普及は意図されず、官僚機構の共通知識としてのみ喧伝されたので、引用等々が問題視されることはありませんでした。