蘇我蝦夷が「天皇記」「国記」を焼いたとありますが、史書を焼くことに何か意味があるのでしょうか。

編纂における馬子主導が事実とすれば、「天皇記」「国記」には蘇我氏中心の歴史が書かれていたことになります。恐らく、本宗家滅亡後に、蘇我批判の材料として用いられることを懸念したのでしょう。