聖徳太子の当時に、倭という国への帰属意識は、一般の人々にどれくらいあったのでしょうか。

どうでしょう。当時は朝鮮半島の政治情勢が活発化し、隋王朝の脅威が東アジア諸国に緊張を強いた時期ですから、朝鮮半島との関係において求心力を得ていたヤマト王権中心部、その同盟勢力となる人々は、「倭」という繋がりを意識していたでしょう。しかし一般の庶民たちは、列島内部でさえ「異国」と感じるような地域が多くあった段階で、「倭」というまとまりを意識することはほとんどなかったでしょう。