日本にも中華思想があったとのことですが、どのくらいの時期から確認できるのですか。

倭王武雄略天皇の時点で、倭王が中国の「天下」から独立した「天下」概念を持とうとしていたことは、稲荷山古墳出土鉄剣銘や江田船山古墳出土大刀銘に「治天下」の言葉があることからも分かります。しかし、中華思想が明確になるのは7世紀後半の斉明朝においてでしょう。同朝では、仏教で世界の中心に位置するとされる須弥山の像を宮の傍らに立て、その前で蝦夷や南島人など、ヤマト王権が「夷狄」と位置づける人々への儀式(大王への服属儀礼)を行います。これは明らかに、ヤマトが中国王朝と同じく周辺に異民族を従えた、小中華であることを宣言する施策であったものと考えられます。