法が施行される過程で、仏教や儒教と結びついてゆくのは、現代の法社会に生きる私たちにとって非常に不思議である。法に宗教のバイアスがかかっていたのはいつの時代までなのか。

近代法以前の法律概念は、多く宗教思想を根本に置くものが多いですね。法というのは一定の価値観をもって社会を維持するためのものですので、その構成員に共有しうる何らかの思想が必要になってきます。前近代においては、それが、儒教や仏教であることが多かったということでしょう。とくに国家が国教を定めた場合には、その教義が顕著に国法へ反映してくることになります。東アジアにおいては、君主の支配権を正当化しピラミッド構造の維持を最上と考える儒教律令などの核になってきましたが、仏教を信奉した梁や隋、道教を信奉した唐などでは、その都度仏教的、道教的な施策が採られたわけです。近代法の枠組みからすると奇異に思えるかも知れませんが、しかし、近代法も民主主義に基づく人権概念、社会主義に基づく福祉思想など、時代性に束縛された様々なイデオロギーを核としていますので、客観的にみるとさほど構造は変わらないのです。