「何も悪いことをしていないのに、何で私がこんな目に遭わなければいけないのか」と日本人はよくいいますが、こういった思想はどのように形成され、また納得されていたのでしょう。
確かに仏教の影響はありますが、まず仏教伝来以前の中国では、占いの経典である『易経』のなかに、「善い行いを積み重ねた家には、必ず余りある幸いが訪れる。善くない行いを積み重ねた家には、必ず余りある災禍が訪れる」という記述があります。家を単位に善悪の報いを示した言葉ですが、このような考え方は、早くから世界中に少なからずあったと思われます。例えば社会学者のモースは、受けた贈与をより広げて次の者へ贈与してゆくことで、社会が維持される慣習の世界的な存在を発見しています。「これだけしたのに、なぜその報いが返ってこないのか」という発想は、このような普遍的慣習に根ざしている可能性があります。上の『易経』の思想や、仏教の因果応報の考え方も、どこかで贈与性に根ざして主張されてくるのでしょう。