授業でもお話ししましたが、もともとそれに近い発想が伝統仏教のなかにあったのです。例えば、奈良仏教の代表的宗派である法相宗。薬師寺や興福寺の所属する宗派ですが、彼らが依拠する根本経論の『瑜伽師地論』には、もし対象の生命がこれ以上生きていることで社会に害悪を垂れ流し、自分自身悪業を積み重ねて地獄に堕ちてしまう事態になると確信された場合、菩薩はその生命を奪っても罪業にならないなどと記されています。主体が「菩薩」であることがポイントなのですが、ある人物が菩薩であるかいなかは結局その師匠たち、教団内の合議で判断されるので、考えようによっては恐ろしい結果を生じることも予想されます。