動物愛護活動が盛んな西洋においては、殺生罪業の考え方は存在しなかったのでしょうか。あるいは、アジアとは別のあり方で存在したのですか。
西洋の動物愛護思想の淵源は、例えば『旧約聖書』創世記に書かれた自然の支配者としての人間、あるいはそれを転換したスチュワードシップ(神が人間に対し自然の維持管理を信託したとの見方)の考え方に由来しています。いずれにしろ、牧畜文化の発想で、動物が人間社会のなかで適正に生きてゆくためには、人間による監督が必要であるとの認識です。殺生罪業に類似する考え方としては、人間は自然を、神が創造したそのままに維持する責任があるので、過度な殺生や開発は抑止されねばならないといった見方が認められます。「責任」の有無が、人間と動物の位置を同列にみる日本文化と、大きく相違する点だと思います。