史料6では、仁徳天皇が贄を食べるシーンが描かれていないが、それはなぜなのだろうか。

なぜなのでしょうね。確かに、食べることが重要であったのなら、書かれていてもよいはずですが、それはありません。『古事記』や『日本書紀』は、そのなかに古い史料を含むものの、8世紀の産物です。当時施行されていた律令のうち、国家祭祀について規定した神祇令には、潔斎の際に肉食を禁止した規定があります。しかし、そのもとになった中国の唐令の同一条文には、肉食禁止の規定がなく、これは日本で新しく付加された部分だと考えられています。『日本書紀』の編纂思想においては、贄の貢進を必要なものと認めつつも、天皇による肉食を公に喧伝してはならないという認識が存在したのかもしれません。秘儀として隠そうとされたなのか、あるいは否定的な見方が存在したのか、まだまだ考えるべき余地は残っています。