「人間の傲慢」というのは、非常に難しいことばであると思う。生きる、生活する、ということにおいて、傲慢でなくいられる時があるとは、私には考えられないからである。
なかなかこれは、深い考え方ですね。例えば、近年のホミニゼーション(ヒトの誕生、ヒト化を考える学問領域)研究においては、自己の欲求・利益を抑制し共生的社会を構築することがヒト化の重要なパラメータのひとつとみられています。ヒトに最も近いチンパンジーのボノボは、群れの内部、あるいは異なる群れとの邂逅において、戦闘に発展するような軋轢を回避するためのさまざまな動作が確認されています。もしそれができなければ、群れはもちろん、種全体の保全が危うくなる場合もあるからです。我々人間の社会においても、そうした抑制行動は日常的に確認できます。個よりも社会が優先されすぎ、抑制行動への偏重が精神的病を発症する場合もあるほどです。我々ヒトも、「傲慢である」と自覚できる程度には、「傲慢ではない」といえるかもしれません。