『日本霊異記』において、どうして父親が猫の姿になったときだけ、息子に追い払われなかったのだろうか。
確かに、犬や蛇のときには追い払われたのに、ネコのときにだけ供え物の食事にありつけたという描写は、何らかの恣意性を感じさせますね。明確な理由にはなりませんが、例えば、ネコが両義性・境界性を帯びた獣ではあったものの忌避はされていなかったこと、やはり近しい人物の生まれ変わりであるという認識が一定度浸透していたことなどが考えられるでしょう。実証はできませんが、このように考えると、ネコが祭壇への供え物を食べたことは、そのまま父親の心霊に供え物が享受されたことを意味してくる可能性があります。厳島神社に現在も残る烏勧請の儀式は、神使の烏が船に乗せた神への供物を取るかどうかで吉凶を占う神事ですが、『霊異記』の死者供養が、そうしたものと共通の性質を帯びていたことは多いに考えられます。