猫は、ねずみに騙されて十二支のなかに入れなかったといわれていますが、やはり狐や狸のように怪しい雰囲気を持つため、神に近づく十二支に入れてもらえなかったのでしょうか。

十二支自体は殷帝国より確認できますが、これに動物を当てはめたのは、後漢の王充撰『論衡』物勢篇が初見です。後に、猫が鼠に対し無用な殺生をしたため釈迦が十二支から除いた、鼠に騙されて十二支の競争に参加できなかった、などの話が形成されますが、それはもちろん後付けの説明譚でしかありません。中国の陰陽五行説においては、十二支にもそれぞれ木・火・土・金・水の属性が当てはめられ、それぞれ相克・相生の関係があると説明されます。例えば、子は水属、午は火属であり、水克火(水は火に勝つ)の関係から、馬は鼠を恐がるものだとの説明がなされているのです。しかし成立史的には恐らく逆で、まず馬が鼠を恐がるという経験的事象があり、それを説明するために子=鼠、午=馬などの当てはめが行われたのでしょう。猫がこのなかに加わらなかったのは、後漢時代にあって、未だ猫(狸)が人間生活に身近な存在ではなかったからかも知れません。中国史料に猫が目立つようになるのは、唐代頃であり、この前後に西域から将来されたのではないかとの見解もあるのです。ただし、戦国末期の『礼記』郊特牲篇に、蜡祭において虎とともに「貓」を祀るとの記述があります。これが山猫か家猫かは定かではありませんが、後者とすれば、また別の理由を考えねばならないでしょう。