猫が擬人化されて描かれるのは、それだけ人間に近しい生活をしていたためなのだろうか。 / 物語のなかで、猫が人に化けて人間として生活していることには、どんな意味があるのでしょう。人を騙す狡猾さの表現なのでしょうか。 / 『新著聞集』の話で、孫右衛門は妻を狼だと知っていて結婚したのでしょうか。

これはまだ詳しく考察したことはないのですが、狼や虎が人に化けて人間社会にもぐり込んでいる話と、猫が人に化けて人間社会に潜んでいる話とでは、同じ内容でも意味が異なるのではないかと思います。前者は中国発祥ですが、少し授業でも触れたように、虎トーテムなり狼トーテムなり、野生の世界における強力な獣を始祖とする少数民族の文化を、漢民族の側で好奇の目をもって物語化したものではないかと考えられます(こう考えると、異類婚姻譚的なニュアンスも出てくるので、孫右衛門も妻を狼だと知っていた可能性が出てきます)。それに対して猫の話は、やはり、野生/文化の境界に位置するマージナルな猫のありようを反映しているのでしょう。人間に姿を変えて暮らしている猫は、そのまま、文化にとけ込んだふりをしている家猫の象徴であると思われます。