猫が踊りを人にみられて姿を消すという展開に、「鶴の恩返し」などの「ノゾキ」を連想してしまいました。ノゾキに関して詳しく知らないのですが、何か参考になる文献などありますか? / 一度人語を話した猫は、人の側にはいられないのでしょうか。

ご指摘のとおりですね。昔話研究、神話研究などでいう「見るなの禁」の問題です。ただし「鶴女房」譚や、日本最古の「見るなの禁」譚である『古事記』の黄泉国神話では、主人公と結婚した異類らが「見てはいけません」と禁止をかけるものの、主人公がその約束を破ってしまい悲劇に終わる展開になります。「猫の踊り」の方は、別段自分から禁止はしないので、正確にいうと異なるモチーフなんですね(禁止は、例えば踊る姿をみた人に、「喋るな」という形でかけられることになります)。ちなみに「見るなの禁」の方は、精神分析学者の北山修さんに、昔話や神話を分析した一連の著作があります。古代文学者の橋本雅之さんとの共著、『日本人の〈原罪〉』(講談社現代新書)あたりが分かりやすいかもしれません。なお、一度人語を話してしまった猫がいなくなるというのは、「鶴女房」などと同じ形式ですね。ただし、「鶴女房」は正体を知られたことが原因、猫の場合もやはり本性を知られたことが原因ですが、それは、「いつもは動物のふりをしているけれど、実は人語を解して人間のことをすべて知っている、監視している」といったことであり、やはり微妙に位置づけが異なります。