三内丸山遺跡などをみると、住居に大小の差があり、縄文時代の定説である「皆が平等」とは異なっているように思うのですが…。

三内丸山の分析・解釈もまだまだ議論があるところですが、それほど大きな社会的格差、階層差が存在したとは考えられていません。同遺跡の大小の住居規模は、居住している家族の人数に比例するもので、社会的位置を反映したものではないとするのが一般的見方でしょう。なお、長さ32メートルにも及ぶ最大の竪穴式住居は、集会場や越冬共住用など、共同体的な利用が推定されています。他の大型住居にも、類似の用途があったと想定してよいのかも知れません。ただし、縄文時代を平等な社会と考える定説は近年見直しを迫られており、集落内での分業からグループ化を経て、共同作業のリーダーや権威の高いシャーマンなどが誕生したとみられています。今後の研究の進展を俟ちたいところです。