銅鐸が祭祀目的に使用されていた根拠とは、何でしょうか。普通に鳴らして使われていた可能性はなかったのですか。

まず古代世界あるいは民族世界において、もともと音楽が、神を招く環境を作り出す道具であったことが挙げられます。現在でも、そのジャンルに関わりなく、音楽は一種の陶酔状態をもたらします。シャーマンに神霊が憑依するような心理状態を生み出すのに、音楽が大きな役割を果たしたのでしょう。音楽とともにある神楽(これはもちろん、読んで字のごとく)、舞踊といった芸能も、ほとんど神事から発展したものです。東南アジアなどでは、銅鐸とよく似た土鈴が、現在でも祭祀に使用されています。銅鐸には水田耕作にまつわる風景が描かれていますので、農耕の豊穣を祈る祭祀において打ち鳴らされ、音楽を奏で、やがて神霊を象徴する宝器としてそれ自体崇拝の対象になったものでしょう。ちなみに、青銅器が埋納された場所は後世にも神聖な地点と認識されていたらしく、出雲から大量に青銅器が出た神庭、荒神谷など、奈良時代の『出雲国風土記』段階から「神」字を冠した名を持つ土地もみえます。近江の石山は、巨岩が林立して後世まで聖地とされており、奈良時代には石山寺が創建されていますが、同地からも幾つかの銅鐸が発見されています。