薪炭材の燃え残りから樹種が特定できるのですか。 / 「森林伐採が進み、アカマツが多用されるようになった」とありますが、森林の減少が洪水の増加などを引き起こしたため、王が広葉樹の伐採を躊躇したとは考えられないでしょうか。

樹木の組織が残っていれば、その構造からある程度樹種を特定できるのです。また、講義でもお話ししたように須恵器生産は周辺の森林を伐採して移動してゆくもので、遠方からの薪炭材の運搬は行っていません。そうした労力を投入するなら、森林の近くに登り窯を作った方が楽だということでしょう。一方、陶邑周辺の一次植生は、その他の遺跡から広葉樹林であることが確認されています。よって、陶器生産が広葉樹林を伐り尽くしてゆき、その後に生えてきた二次植生のマツも薪炭材としていったと推測されているのです。