言語による世界の分節、動物/人間の分節の仕方の違いですが、例えば嬉しさや悲しさといった感情は、身体的記憶として残るものなのでしょうか。

難しい問題ですね。確かに、動物には嬉しい/悲しいといった感情があり、それは記憶として残るはずです。しかしそれは、人間と同じように分節された思い出ではない。嬉しさの内容、悲しさの内容については、言葉によって意味づけされたそれより単純で、バリエーションとしても限定されてくることになるでしょう。しかし、身体による分節が言葉による分節と比較してどの程度狭小なものなのか、内容的にどのような具体的相違があるのかは、未だ充分に明らかにされているとはいえません。近年の認知科学の発展によって、そうした比較にも顕著な成果が提示されてきているので、推移を見守りたいものです。