前方後円墳において、なぜ方形のほうが祭祀の場だと考えられたのですか。

円形部分が埋葬遺構であり、歴史的な形状の変化からすると、溝にかかる陸橋が方形部分へと発展してゆく。陸橋は、円形部分へ至る道であるわけですが、なぜ円形部分へ向かわねばならないかというと、それはやはり祭祀の斎行が目的であったと推定されます。さらに、方形部分が広さも高さも拡大してゆくということは、その空間で行われる行事が複雑化し、大規模化していっているということになります。それに相当するのは、やはり何らかの祭祀以外に考えられない。明確な事例が発掘されていないので曖昧ですが、以上のようなことから総合的に考えて、祭祀が最も妥当と判断されたのでしょう。