後期古墳になって死生観が複雑化してゆくことと、前方後円墳の墳形が減少してゆくこととは、何か関係があるのですか。

直接的に結びつくかどうかはまだまだ分析が必要ですが、各地の死生観や宗教的・政治的価値観の多様化のなかで、「壺型」のモチーフが象徴性を失ってゆく、政治的拘束力を弱めてゆくといったことはあったでしょう。また、古墳によって王権との連合関係や首長の権威を体現する時期が終わり、職務奉仕の形や寺院造営といったものへ重要性が移行してゆく事態も、併せて生じていたのです。