人物埴輪が中期古墳以降に多様化するというのは、家や武器の方が複雑な技術を用いずに作成できるからですか。

やはり「焼き物」ですので、複雑な形状のものであればあるほど造型・焼成が難しいということはあるでしょう。しかし、最も大きな原因は、死者観の変化ではないかと思います。前期古墳の被葬者は、封じ込めるような埋葬の仕方や祭儀のありようからみて、極めて抽象的かつ呪術的な感覚で捉えられていたようにみうけられます。もちろん彼は名前を持った個人ではあるのですが、同時に畏怖すべき強力な霊体であり、生者の意志とは隔絶した位相にあるような存在だったのでしょう。ゆえに、偶像としては表現にしくかったのかも知れません。それに対して中期以降の被葬者は、祭祀のジオラマにしても副葬品にしても、生前の姿とどこかで連続している。人物埴輪の発展は、遺体が具体名を持った死者として立ち現れたことと関係するものと思われます。