装飾古墳が増えるにしたがって、埴輪の果たしていた役割が壁画へ移行してゆくのでしょうか。

一部にはそうした情況も認められますが、あらゆる古墳が装飾古墳になってゆくわけではないので、両者の表現形式が併存していたと理解すべきでしょう。ただし、埴輪自体は後期古墳の段階で中央では作成されなくなってゆきます。やはり、祭祀・儀礼のあり方が変化した結果でしょう。