秦の始皇帝陵にもジオラマが存在していますが、日本の古墳の事例、直会などと関係があるでしょうか(日本へは中国から将来された発想なのですか?)。また、なぜジオラマを作るのですか。
兵馬俑ですね。あれは直会というより、生前と同じような配下を揃えて、陵墓=死者の国でも奉仕させようとしたのだと考えられています。日中の事例に直接的な繋がりがあったかどうかは実証できませんが、墳墓に人物像を配するという発想は同じであり、やはり列島が輸入した考え方である可能性はあるでしょう。ただし、朝鮮半島の墳墓などと比較してみると、日本は「土人形」が特別に発達しているような印象があります。弥生時代に土偶製造の揺り戻しもあったことですし、列島文化のひとつの特徴といえるのかも知れません。なお、中期〜後期古墳のジオラマは、一回性の祭祀を永続化するという呪術と、祭祀者でもある首長の権威を象徴する装飾性の、2つの性格・目的があったものと思われます。