古代の人々が開発の欲望と自然崇拝とを両立させていたのに、現在はなぜそれができなくなったのでしょう。やはり西洋文化の影響でしょうか、それとも人類発展の帰結でしょうか?

確かに古代においては、一方で自然環境の大規模開発を展開しつつ、もう一方で自然への祭祀を継続していました。しかし果たして「両立」できていたのかというと、やや疑問に思われる点もあります。『書紀』や『続日本紀』を読んでいると、例えば過度な樹木伐採によって土壌流失が起きたとみられる記事、その結果洪水が頻発したと考えられる記事などが散見されます。やはり、現代と比べて深刻な問題となっていないようにみえるのは、社会の抱える人口の多少に基づくと考えるべきでしょう。江戸期に至るまでに、日本列島の6〜7割の地域が禿げ山・草山化し、森林を失っていた環境史的事実から考えると、すべてを西洋文化のせいにすることもできないと思います。列島に暮らしてきた人々は、豊かな自然条件に対する依存度が極めて高く、それゆえに開発・改変行為を抑止する能力に欠けていたのではないでしょうか。自然を愛好しつつその実りは貪り尽くす、そんな幼児のような甘えが、日本人の自然観の正体ではないかと考えています。