日本に仏教信仰が広まってからも、「神殺し」の物語は存在したのでしょうか。

存在しました。奈良時代には、温暖化と政府の勧農策のなかで、有力豪族や有力農民層の間に開発推進の気運が高まります。とくに畿内周辺では、溜め池や樋などの灌漑施設を造営する動きが活発化しましたが、その中心には例えば行基などの僧侶がいました。彼らは、衆生救済の菩薩行の一環としてかかる開発事業に協力したと考えられていますが、注意されるのは、彼らが民心を誘導するために用いた説教に「神殺し」の言説が含まれることです。8世紀の僧侶たちの説教をひとつの起源とする『日本霊異記』には、例えば、行基の活動を妨害しようとする蛇神が、縁起や戒律といった仏教的論理の前に敗北する物語が収められています。開発すべき自然を象徴する神々を克服するうえで、異なる次元に立つ仏教の論理が援用されたのでしょう。