人柱の起源はいつでしょうか。また、考古学的にその痕跡は確認されているのでしょうか。

講義で扱った『書紀』仁徳天皇11年10月条が、一応は日本における人柱の初見史料とされています。しかしよくよく内容をみていると、武蔵の強頚は入水して河伯の生け贄となってはいるものの、「柱」にはなっていません。ゆえに厳密には、人身供犠の史料ではあっても人柱の史料ではない、との見解も提示されています。また、人柱ではないかとされる考古学的事例は幾つか指摘されていますが、いずれも解釈によってそう位置づけられるに過ぎず明瞭ではありません。ただし人柱の言説は、中世から近代にかけて次第にリアリティを増しつつ、語り継がれてゆきます。人々は、その残酷さゆえに、実際の出来事であったと信じていたようです。その意味で、人柱は常に存在したのだといえるかも知れません。