藤原京はどうして藤原京というのでしょう。平城、長岡、平安などもそうですが、誰がどのような意味で名づけたのでしょうか。

藤原京長岡京は地名を援用したものです。その他の、難波京大津京紫香楽宮などもそうですね。ただし藤原京については、史料的には宮/京で呼称が異なります。「藤原宮」という記述は『日本書紀』にあるのですが、実は「藤原京」はなく、研究者が便宜的に付した呼称なのです。『書紀』では「新益京」、すなわち新しく付け加えた都という表現になっています。なお、藤原という地名は、普通に解釈すれば「藤が生い茂る野原」ですが、同地が低湿地であることから、フヂ(淵)ハラが原義ではないかとも見解もあります。これらに対して、平城・平安はよりイデオロギー的な名称が付されています。前者は、『続日本紀和銅元年(708)2月戊寅条の遷都詔に、「方に今平城の地、四禽図に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ。宜しく都邑を建つべし」とあることから、一応は地名であろうと解釈できます。ナラというヤマト言葉に「平城」という字を充てたわけで、これは平安の都、安泰の都、あるいは天下を平定する天皇の居所、といった意味が込められているのでしょう。後者の平安京も、同じスタンスで命名されたとみてよいでしょう。