言語論的転回は、伝統的歴史学の叙述などをあれこれ批判していますが、結局のところ歴史学はどうあるべきと考えているのですか?批判ばかりで、それではどのようにすればよいかという考えを提示していないと思えるのですが…。

そんなことはありません。講義でも度々紹介しているのですが、私の説明の仕方が悪いのでしょうね。例えば今回採り上げたラカプラなどは、実証史学の史料批判に対して、文学批評の方法論を用い、多様な解釈を示すことで対案を示しています。それは「実証」されたものではないので、「事実でない」として、実証主義からは歴史学とさえ認められない作業でしょう。しかし、ラカプラはその「事実」への信仰をこそ批判しているので、アンチ・テーゼとしてはしっかり機能していると思われます。