スピーゲルの提言について、言語が過去/現在を連続させているとするなら、外国語や古語を日本語訳したり現代語訳したりする作業とは何なのでしょう。言語の使用域を無視することになってしまうのでしょうか。

確かに「現代語訳」は一種の翻訳作業ですから、時空を飛び越えて、過去を現在に従属させてしまう方法以外の何ものでもありません。ゆえに伝統的歴史学においても、知識の社会的還元の便法とのみ捉え、研究の方法としては肯定していないと思います。しかし、現代語訳によっても過去の事象がある程度理解できるということは、スピーゲルの示した提言の証明になるのではないでしょうか。もちろん、二者択一的には「過去の事実は把握できない」ということになるでしょうが、これも「代理表出」であると考えればその意義は大きいはずです。