中国古代にみられる諫言は、後代の『史記』をはじめとする史書などに、少しずつ形を変えながら残っていったということでしょうか。

史官たちは歴代王朝や諸侯に奉仕しつつ、しかしその倫理的核は天や祖先に置いている。自らの仕える君主が天命に沿っていればその意に従うが、それに違背すれば躊躇なく筆誅を加える。それが、史官のひとつの理想型であるわけです。歴代の正史は一応その立場を踏まえて書かれますが、しかし時代的制約からは逃れられず、後世には必ず批判の対象となってゆくのです。そのなかで、後続の王朝が前王朝の記録を整理し、一書にまとめてゆくという方向性が打ち出されてきたのでしょう。講義でも述べましたが、儒教的な〈孝〉の観念を前提とすれば、中国人にとって、いまここにある現実自体が歴史の証明です。過去を偽ることとは現在を偽ることであり、その逆もまた真である。史官にも恣意性や政治性はもちろんあったでしょうが、一方で上記の理想を守ろうとしてきたことも事実でしょう。