王位継承は実力重視から血縁原理へ移行したとのことですが、なぜ『古事記』『日本書紀』は、すべてを血縁原理で創作したのでしょうか。実力重視の内容でもよかったと思うのですが。 / 権威付けを無理にするほど、万世一系に意味があったのでしょうか。

恐らく、『古事記』や『日本書紀』を生んだ7〜8世紀のヤマト王権が志向したのは、「革命のない王朝」であったと思われます。彼らが国家形成の手本とした中国王朝は、革命によって王権の健全さが保たれる(ことを名目としている)国家形態でした。版図が極めて広く、政治的・社会的な価値観が一様ではない中国王朝においては、ある意味で必然的な帰結であったといえるでしょう。しかし、狭隘な日本列島でそうした政治システムが導入されれば、王権・国家自体が疲弊し、他国に侵略される危険性も増すことになります。当時の東アジア世界において、神話・歴史は現在を生きるための教訓・智慧の源泉として機能していましたので、ヤマト王権は王朝の交替を歴史に記さない、すなわち万世一系の虚構を構築する道を選んだのでしょう(中国の正史には、きちんと革命についての記述があり、王朝交替の正当性が明記されています)。ゆえに、血縁原理に先行する実力重視の時代も、血縁継承の原則に沿って記述されているのです。