倭王武と雄略が同一人物ならば、允恭が済、安康が興と単純に考えてもいいと思います。なぜ諸説あるのでしょうか。 / 「讃」は日本の天皇の中国語読みなのだと思いますが、なぜ中国名が勝手に付けられているのですか?

宋書』に載る上表文にみられる倭王の中国名は、同文章を作成した渡来人が、大王の名の一部を採って中国的に表現したものと考えられます。「武」はワカタケルのタケルに相当し、「讃」はホムタワケのホムに当たるのでしょうか。上表文を中国的形式に則って作成した、渡来殷たちの営為でしょう。なお、『古事記』『書紀』の継体以前の系図は、複数の架空の人物を継ぎ足したり、実力主義の時期もすべて血縁原理で継承していたようにみせるなど、様々な作為が施されています。慎重を期すことが大切です。