倭国と百済との友好関係は、なぜ長きにわたって続いたのでしょうか。

朝鮮三国と倭国に通交が発生した四世紀後半、すでに百済高句麗は敵対関係にあり、百済高句麗との戦闘を有利に進めるため、海を挟んで隣接する倭国と同盟関係を結んだようです。高句麗の広開土王の時代には、百済加羅地域が連合し新羅に敵対したのに対し、高句麗新羅を援助しました。いわゆる加羅地域は、倭国にとって重要な鉄資源の供給地でしたので、倭は百済を援助しつつ新羅高句麗と対立する枠組みが作られてゆきます。なお、倭国は中国への朝貢の際、朝鮮半島の南〜東岸を辿るルートを採用していたので、その意味でも百済と良好な関係を保つことが大事だったのでしょう。