『文心雕龍』の史論には「歴史に勧善懲悪を示」「その時代の聖人を規準にして歴史を記述する」とありましたが、後の時代においてその聖人の評価が変わる可能性についてはどう考えていたのでしょう。

「聖人に従う」というのは、個々の時代の誰それというより、古代の聖王たちと周公旦・孔子の言動、それを伝えた記録という意味でしょうね。そして、聖人なるものの評価は絶対であり、時代には左右されないのです。なぜなら、普遍不変の真理を語るのが聖人だからです。時代を経過して評価が変わるとすれば、それは評価をする方が邪なのであって、聖人の価値が変動したわけではないのです。