7世紀の世代内継承で、第II期だけまったく天皇が出ていないのはどうしてでしょうか。

まずひとつは、推古大王が長生きをしたということでしょうね。厩戸王をはじめとして、何人かの有力な大王位継承者はいたのでしょうが、崇峻殺害に連なる政治的情況として、誰もが即位できない特別な事情を抱えていたのでしょう。例えば厩戸王は、蘇我氏の身内ではあるものの、かえって馬子と不和になった場合、崇峻と同じように謀殺される危険がある。押坂彦人大兄は蘇我氏と遠すぎ、馬子の許可を得られない(早期に暗殺されたとの見解もあります)。いちばんバランスがよかったのは、敏達と推古の子供である竹田王子でしょうが、彼は推古の即位後間もなく夭折してしまう。よって推古は、政治情況が変化するか、あるいは次の世代の王族が成長してこない限り、譲位できない環境にあったのだと考えられます。