大王の寵臣などが、既定の8氏族の他に合議の場に参加したとのことですが、何か例があれば教えてください。

例えば、敏達朝の寵臣三輪君逆です。三輪氏は、古来三輪山を奉祀してきた祭祀氏族です。本拠地の隣接していた阿部氏とも協働し、阿倍比羅夫が東北を征討する際には、三輪神を勧請して臨んだとも伝えられています。同氏はもともと群臣協議の場に列する氏族ではありませんが、逆は敏達に寵愛され、「内外之事」を委ねられたと伝えられています。穴穂部王子が、敏達の殯を行う皇后に乱暴しようと押し入った際、逆は兵衛を率いてこれを防いだので、王子に逆恨みされ、その背景勢力である物部守屋に攻められて殺されました。