現在を生きる人々の宗教観が気になります。科学と宗教が並立することってありうるのでしょうか。 / ランケは、「進歩史観を否定しながらも国家の価値を重要視する」とのことでしたが、それが同時に成立するのはどうしてですか。

もともと、現在科学が担っている世界、宇宙についての説明付与という機能は、かつては宗教が担っていました。そういう意味では、もともと科学と宗教は近しいものです。近代においては、スピリチュアリズムやオカルティズムが科学と同居していました。エジソンなど、晩年には霊界と交信するための機械を発明しようとしていましたし、日本でも千里眼実験などが繰り返されていました。我々がよく知る現代科学の説明も、それを我々自身が実見していない、あるいは実験して確認していない以上、宗教と同じように機能していると言っても過言ではないでしょう。現代でも、例えば宇宙物理学者のなかには、ビッグバンの発現プロセスについて神の存在を持ち出す人もいます。人間の認識においては、科学/宗教の並立はありうるといえるでしょう。
ランケについては、確かに矛盾といえば矛盾ということになります。しかし例えば、各時代は神の前に平等の価値を持ちながら、近現代は神の計画である国家を実現する条件が整った時代であったのだ、との位置づけは可能でしょう。決して進歩をした結果いちばんよい時代になったというのではなく、条件が揃ったところ計画が成就したというわけです。いずれにしろ現代が最も良い時代ということになるのでしょうが、直線的進歩や進化自体は否定しても説明可能です。