私の父は、東日本大震災の現場で救助活動などをしていましたが、トラウマ的に言葉に出せないこともたくさんあると言っていました。戦争体験もそうですが、人間の経験を記述することそのものが難しいのではないかと思いました。

そうですね。テレビ等々で報道されているのは、本当に「きれいなところだけ」ですから、ご遺体の散乱するような現実の光景は、とても表現しきれるものではないでしょう。アウトプット自体に、大きな困難さが伴います。トラウマについては、かつては「話すこと」が治療になると考えられていた時期もありました。確かに〈物語り〉には、曖昧なものごとを分節し形を与えることで整理し、主体を次のステージへ進めてゆくという機能があります。しかし近年では、無理矢理絞り出されたその形が、かえって主体を苦しめ続けるという症状も確認されるようになってきました。前回『文心雕龍』に、時間が経つとものごとが不明確になるとの記述がありましたが、一定の時間を置かないと表象さえできない事柄は確かにあります。その点を歴史学はどう扱うべきか、どう捉えるべきか、考えてゆかなければいけないですね。