幼い頃母親が、「今の子は想像力が足りないから、平気で人を傷つける」とよく言っていました。この「想像力」は、自分の行為によって他者が傷つくことが分からない、つまり他者表象の能力が欠けていると解釈してよいのだろうかと今回の講義を聴いて考えました。「今の子は想像力が足りない」というのは、学問の時代の流れを考えたうえでは、どの程度根拠があるのでしょうか。

確かにぼく自身にも、そうした感想を抱く出来事は多くあります。例えば、震災関係の授業を行ってリアクションをみても、その惨状を想像できず、利己的な観点からしか捉えられない学生も多い。メディアで採り上げられる少年犯罪の様子など、それを行ってしまったら自分がどうなるのか、家族がどうなるのか、まったく考えていないと思われることも多々あります。社会の画一化が進む一方、核家族化や同一階層の固定集団化などを通して、子供たちの周囲の価値観が極めて限られた均一のものになっていっている。そうしたなかで、自分の理解しえないものにぶつかって考えること、悩むこと、想像する経験自体が失われていっている、少なくなっていっているのかも分かりません。しかし恐らく、想像力が不足しているのは「今の子」だけではないでしょうね。年配の方でも、「今までそんなに長い時間を生きてきて、何を学んだのか」という人もいます。「今どきの…」という発言には、多分に世代間闘争的な要素も反映していると思いますね。