仏教が公伝以前に伝わっていたのなら、なぜそのときには問題にならず、公伝になってから崇仏論争に発展したのですか。

私伝仏教が実際にあったことは、前回の質問に対する回答(仏獣鏡の件)でも述べました。講義でお話しするように、私は『書紀』に書かれたような形での崇仏論争はなかった、と考えていますが、中国等々でも、民衆が私的に信仰する範囲では宗教弾圧は行われていません。それが政治的目的と結びつき、民衆反乱などに繋がることが問題とされたのです。『書紀』の崇仏論争記事でも、物部や中臣が問題視したのは、大王が仏を祀ることであって、列島に仏教が入ってくることではありません。この点、注意すべきでしょう。