王殺しは推古朝の制度改革に大きな影響を与えたと分かりましたが、大化の改革とも関係があるでしょうか。

政治史的には、蘇我氏の王殺しが結局その独占体制を構築したと考えれば、乙巳の変の遠因になったとはいえるでしょう。また文化史的には、皇極朝における真の支配者=王は蘇我入鹿であったと考えると、これもまた王殺しなのだといえるかもしれません。事実、彼も仕組まれた「三韓貢調」の儀式の場で殺されており、崇峻暗殺と相似形をなしているのです。