「イエス、ノーといった同一化の応答からずらし…」や「忌避/鎮魂の中間項はありえないのか」といった講義の内容から、二元論の絶対的な存在が気になりました。別の授業のレポートのために参照した文献で、二元論に支配されていない学説はないとありましたが、歴史学のみならず学問全体において、二元論とはそれほどまでに不可欠であるのでしょうか。

ポストモダンの考え方では、二元論的な思考様式からの脱却が目指されています。二元論は分かりやすいので、複雑な世界の把握における常套手段として使われてきました。例えば、自然/文化の二項対立は、キリスト教的世界で営々と培われてきたものの見方です。確かに、自然環境の力が圧倒的であった時代には、両者を別物と考えることで、自然に立ち向かうモチベーションを醸成することが不可欠だったのでしょう。しかし、結果としては自然は人間の生きてゆく素材、自然は文化に従属すべきものという思想を生み出し、現在の環境問題を現出させてしまったわけです。二元論については、その利点と問題点をしっかり見据えて使用することが重要でしょう。