単純なことかも知れないのですが、なぜ『天皇記』『国記』を聖徳太子が編纂したようにしなければならなかったのでしょうか。

日本書紀』は、『天皇記』『国記』だけではなく、推古朝の重要政策のほぼすべてを、聖徳太子蘇我馬子と共同で推進したとしているのです。『天皇記』などの記述と同様に、「皇太子」という当時はなかった身分の字句が挿入され、記事が作られています。当時の朝廷における地位、実力から考えても、主導者は馬子とみるのが自然であり、その業績を相対化し、逆に王権の力を強調するためになされた述作であったと考えられます。