任那日本府を作る利点は何だったのでしょう。海の向こうに作れば連絡を取るのも大変ですし、もし攻め込まれたりすれば何もできないと思うのですが?

この出先機関が置かれた当時、朝鮮半島南方の加耶諸国は倭に対して好意的であり、日本側からの樹木や特産物の輸出に対し、鉄器や鉄材を供給していました。ヤマト王権はその輸入に依拠して国内統治を進めていましたので、鉄の安定的供給のため、半島に足場を築いておくことは必要不可欠であったと思われます。同時に、半島内の政治情勢や、半島を介して中国王朝の動向を知るうえでも意味があったでしょう。広開土王碑や倭の五王の上表の内容をみると、どうもヤマト王権は朝鮮南部に「色気」を持っていたようで、最終的には侵略し領土化しようと考えていたと思われます。